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パニック障害

「電車が怖いんです」。
流れ落ちる汗をハンカチで拭いながら、そう語った彼は、営業担当の会社員でした。日々電車に乗らないわけには行きません。それにもかかわらず、毎朝、電車に乗ることを考えただけで息苦しくなってしまうのでした。

大学を卒業するまでの彼は、スポーツマンで人懐っこく、誰が見ても自信に満ち溢れていました。
そんな彼の変化のきっかけは、些細なことでした。
その日は電車のトラブルにより、いつもより車内がひどく混雑していました。快速電車のため、次の停車駅まで数十分間、扉が開くことはありません。車内が蒸し暑かったこともあり、目の前の女性の息遣いが次第に苦痛に満ちたものへと変わっていく様を見ていました。
「苦しそうだけど、大丈夫かな」。
はじめはそう思っていました。
ところが、身動きの取れない状況の中で彼女の苦しそうな息遣いを聞いているうちに、先日上司に叱られたときの息苦しさがよみがえって来たのでした。

以来、彼は電車に乗ると息ができなくなる不安に怯え、各駅停車にしか乗れなくなりました。さらにひどいときは、一駅ずつ下車し、しばらくベンチで休むようになりました。出社どころではなくなってしまいました。

パニック障害

自信に満ち溢れているかのように見えていても、それがその人のすべてではありません。誰もが不安や恐怖を抱いているのです。
この男性は、閉じられた狭い空間の中での息苦しさから、パニック発作という症状が引き起こされました。
心理カウンセリングでは、閉じられた狭い空間や息苦しさにまつわる連想が語られて行きました。また、上司に叱られた体験からさまざまな過去の体験も想起されました。電車に乗るのが怖いという体験を通し、自信に満ちた自分でいることから、少しずつ肩の力を抜いて生きることを認める変化が訪れました。

2021年03月03日

会社に行くのが辛い

マキさんは最近転職をしました。数回目の転職です。だからこそ「これで最後にしたい」との強い思いで転職活動をしました。
やっと決まった 新しい会社での仕事内容は、今までの経験を生かせるものでした。だからこそ、内定がもらえたときは今までの自分を評価されたと嬉しく思いました。

しかし、私の元を訪れたときのマキさんは絶望の淵にいました。

あんなにいろいろ考えて職を選択したのに。
自分の専門性を嘱望されての入社だったのに。
なんで思うようにさせてくれないのか。

なんで?という自問の連続でした。

最近は、毎朝会社に行きたくない自分と戦わないと出勤できなくなっていました。




「会社に行くのが辛い」
という気持ちのふさぎを抱えてカウンセリングに来られる方は、とても多い印象があります。
「行きたくないって思うこと、あるよね」と、頷かれるのではないでしょうか

不適応状態(適応障害)

その環境にうまく適応できていない状態を、不適応状態と言います。
私たちはなぜ、不適応状態に陥るのでしょうか。

大別すると、他者(環境)の問題の場合と自分の問題の場合があります。

「人のせい」にするのはとても簡単です。自分のせいではないと思う時点で、ちょっとこころが楽だったりもします。他責にする人はカウンセリングにはいらっしゃいません。生きていることに苦しみを抱え、さらに、どうしたらいいのか考えようとされる方がカウンセリングの場にやって来られます。
かといって、自分が悪いことを証明するのがカウンセリングではありません。
精神分析は真の自分の発見を目指します。
どんな自分が不適応を起こすのか、それがどのような自分に由来しているのか、自分を縛ってきた行動や思考の根源はどこにあるのか。

「そういうことだったのか!」

自分で発見するからこそ、何事にもかえがたい経験になるのだと思います。

2021年03月06日

オンラインの日々による新入生の苦悩

「眠れないし、食欲もない。人とどうやって喋ればいいのかもわからなくなってしまった」

こう語ったのは、今年の4月に大学1年生になったナオヤさんです。
昨年1年間はコロナ禍で、大好きな野球の引退試合もなくなり悔しい思いをしながらの高校生活でした。そんな中ナオヤさんを支えたのは、
「大学に行ったらいろいろなことにチャレンジして、楽しい時間を過ごす!」
との強い思いでした。

高校生までのナオヤさんは、人間関係には自信がありました。明るく元気で、誰とでも仲良くなれる自分が好きでした。
だから親元を離れての新生活に何の不安もありませんでした。4月当初は大学も対面授業だったので、案の定すぐに友だちができました。
これからサークルに入ったりして交友関係も活動範囲も広げようと意気揚々としていた矢先です。緊急事態宣言が発令されたのでした。

ナオヤさんの生活はオンラインへと一変しました。
友だちと会うことが一切なくなり、自室にこもって授業を受けているうちに、今までどうやって会話をしていたのか思い出せなくなっていきました。さらに、今まで自信があると思っていたけれど、実は自分勝手に話していただけではないかと不安が募りました。




オンライン化は孤独を強めさせる要因になりました。特に新しい環境になったと同時にオンラインになった場合、環境に慣れたり人間関係の構築に支障を及ぼしました。
まずは、このような状況になると誰もが不安が増し孤独を感じることを共有しました。
その上で、この時期に自分の人生の意味や大学で学びたいことについて悩めるのはその後の人生のプラスになる、と思考の転換を行いこころの元気を取り戻しました。

2021年05月25日

2022年仕事はじめです

2022年が始まりました。
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

あっという間に仕事始めです。
ネットでは「やりたいこと100リスト」ということばが散見されます。
抱負は大切ですが、大きすぎると重たくなりますね。

「ほどほど」
「そこそこ」

そんな自分を認め、ゆるりとスタートしてみてはいかがですか。
意外にも、このこころの持ち用は悩みを解き放ち、自分を認められるようになる技なんです。

ぜひ、2022年は「ほどほどな自分」で!

2022年01月04日

音声配信を始めました

私はカウンセラーとして20年以上、このお仕事をしてきました。
延べ人数で年間約2000人以上の方とお会いしています。
そこで、私の経験をお伝えすることで、こころの問題に困っている方や、職場での人間関係に困っている方のお役に立てたらと思い音声配信を始めました。
各回、4分程度です。
あまり長いと聴くのも飽きてしまうので、4分くらいがちょうどいいかなと思っています。
レターでの質問機能やコメント欄もあるので、いろいろ質問やコメントを投げかけてください。

STAND.fm 
こころの専門家のお部屋
https://stand.fm/channels/61dd5b64299c4d5005c7efee

2022年02月15日

話しことばの癖について


話す行為は日々無意識に行っています。
無意識の働きは話しことばにもあらわれます。

「ちょっと」
「少し」

この言葉を使っていることがとても多くあります。
なぜこの言葉をいれるのか、こころの作用について話してみました。

https://stand.fm/episodes/620a20d23bb4eb0006285a5f


2022年02月19日

コロナとメンタル①


やっとオミクロンがピークアウトの兆しを見せ始めました。
コロナ禍になり、はじめて今月はコロナ感染によるキャンセルが相継ぎました。

皆様、いかがお過ごしですか?

コロナになりオンラインが普及し、メリット・デメリットがはっきりしてきました。
デメリットは新入生や新入社員など、新しい環境に馴染む前にオンラインになってしまった方への影響に大きく現れてきました。

その環境に長くいる方にとっても、画面オフになっている真っ黒な画面に向かっての発言はこころが疲弊します。

そんなお話を4分ほどしてみました。

https://stand.fm/episodes/620a23b030d9000007ba4388

2022年02月22日

「困っていることありますか?」から良いことばを引き出す方法


「困っていることありますか?」
「ありません」

会議であったり、すれ違いざまであったり。

この会話はよく行われていませんか?

「ありません」と答えたあとで、実は困っていることあったんだけどなと思うこともしばしばです。

ではなぜ、その場で聞けないのでしょうか。

背後にある心理的な意味や対応法について、約4分お話してみました。



https://stand.fm/episodes/621082def1be2c0006f559ed



2022年02月23日

マイペースでいいじゃない

【自分のペースを守ること】
みなさん、こんにちは。

今日は、マイペースでいいじゃない、ということについてお話ししてみたいと思います。

【周りの煽りや影響を気にすること】
大学生はやっと公務員試験が終わりつつありまして、悲喜こもごもですけれども、ホッとしている学生が多い季節になりました。
大学受験とか就活とかっていうこともそうですし、仕事のプレゼンもそうだと思いますけれども、ふと周りを見たときに、自分よりたくさん勉強してそうだとか、○○さんは寝ずにどうやら勉強しているらしい、私は1日4時間しかやっていないのに、みんなは8時間やっているとかですね、自分は帰ってテレビ見ちゃったけれども、どうもテレビも見ないで資料を作っていたらしいとかっていう風に、煽られる要因って日常的に右を見ても左を見てもたくさんありますね。

【他人と比べて不安や焦りを感じること】
自分が何々をしよう、あるいは自分はこういうスタイルで良いって思っていても、次の瞬間、ふと目につくと、やっぱりこれでよかったのかなとか、この道じゃない方がいいのかなとか、なんか自分だけ違うことをしちゃっているんじゃないかとかっていう不安、焦燥感がすぐに出てくるものです。
やっぱり人って他人を気にせずにはいられない。
これはなかなか避けるの難しいことだなと思います。
でもこれにばっかり煽られてしまうと、自分のペースもわからなくなるし、自分がこういう生き方でいいやと思ったり、こういう自分が好きだと思っても、自分が否定されているんじゃないかということに怯えなきゃいけなくなってしまいます。
なので、こういうことが目に入ったり、あるいは耳に入った時には、距離をとるのが一番です。
見ない、聞かないっていうことかな。
気になるから、人ってあえて見に行きませんか?
見なきゃいいのにとか、首突っ込まなきゃいいのにってたくさんありますよね。
これ自分から見に行ってるんですよ、やっぱり。
自然と聞こえるなんてことないんです。
人は気になるから見ちゃうし聞いちゃうんです。
なので、災害の時とか、芸能人の方とかの自死のニュースの時もそうですけれども、自分をちょっとザワザワさせるようなものは、見ないのが一番ですね。
自分のペース、自分はこれでいいじゃないって決めたら、それを貫けたら幸せだろうなと思うし、そういう自分を褒めてあげてほしいと思います。
人は人です。
自分は自分です。
全然違うので、同じにする必要はないっていうことを、ぜひ言い聞かせてあげてほしいなと思います。
私も人間なので、わさわさすることもあるし、良くないのかなとか、なんで自分だけって思うこともしょっちゅうあります。
だけれども惑わされるとキリがないので、皆さんと一緒にどうでもいいって、これはこれって言えるようにしたいなと思っています。
ぜひ皆さんもそういうことに焦ったら思い出していただけたらと思います。
それではまた。

2023年08月30日

怒りの手放し方について

みなさん、こんにちは。

【怒りの手放し方について】
今日は、怒りの手放し方ということについてお話ししてみたいと思います。

【怒りの種類と辛さ】
怒りは本当に厄介なものです。
自分の中で煮えたぎるような怒りが湧いたとき、それをどう対処していますか。
どうやって手放されていますか。
いろいろな工夫をされている方がいるかと思います。
怒りと言っても、強度っていうのかな、カッとしたときの単発の怒りもあれば、ずっと自分を苦しめてしまう理不尽な怒りっていうのもあって、なかなか一言では言い切れない怒りの種類があるように思います。
長年きまとわされている理不尽な怒り、これは本当に辛いですね。
例えば、虐待された人もそうですね。
幼少期、親からされたことを20年、30年経っても、理不尽さに対して、腹が立って腹が立って、そこから抜けられなくて苦しんでおられる方。
あるいは、子ども時代に受けたいじめを大人になっても苦しんでおられる方。
会社の中でのハラスメント、あるいは性被害など。
理不尽な出来事によって、長い間とらわれてしまう怒りがあると思います。
でもですね、レターをくださった方は手放し方についてのご相談だったんですけれども、その時に思ったのは、こんなに理不尽な思いをしているにもかかわらず、その怒りを手放そうということを思えた時点で、その方の強さってすごいなということを思いました。。
なぜこんなことに苦しまなければいけないんだって嘆き続けるのも、そういう状態に陥ってしまうのも普通であって、これを手放そうって思った時点で、ずいぶん前進であり、前を向いて歩こうっていう、その人の生きるエネルギーの発動というものを私は感じました。
ただ一つ気をつけなければいけないことがあります。
手放そうっていうのも、逆方向に向かっちゃうことがあります。
なぜなら、手放そうって思った時点で、手放すぞっていうことに絡めとられちゃうことがあるのです。
手放せてないっていうことに絡めとられる。
あるいは、手放そうって思った時点で、嫌なことがあった時の出来事を再体験してしまっている可能性があります。
いついつの何々に嫌なことがあった、これを手放そうっていうふうにくっついてしまうと、せっかく手放そうと思っても、その時点での不快な出来事を再体験、フラッシュバックとも言いますね、してしまう可能性があるんです。
フラッシュバックがフラッシュバックできるようになったっていう言い方もありますが、やはりフラッシュバックするのはつらいことです。
せっかくそこから離れようと決意したにもかかわらず、またそのことを思い出してしまう。
なので、手放そうっていうことに囚われてしまうと、逆にフラッシュバックの頻度を上げる可能性があります。
それだけでなく、同じような場所に行くとか、自分に嫌なことをした人に会うことも、フラッシュバックを引き起こします。
最悪ですね。
自分に不快な思いをさせた人がケラケラ笑ってたりすると、許せなくなりますね。
自分はこんな苦しんでるのに。

残念ながら相手を変えることはできないので、そういう場には近寄らない。
生活スペースが随分限られたとしても、しばらくはそれを避ける。
自分を怒りから遠ざける手立てのひとつです。

できるだけ自分が快適だと思える空間を作る。
心がけてみられたらいいと思います。
これも怒りを手放す作用があります。

ぜひ心掛けてみてください。

2023年08月31日

トラウマの影響

みなさん、こんにちは。

【トラウマの影響について】
今日は、トラウマの影響についてお話ししてみたいと思います。
トラウマという言葉は、ずいぶん一般的になったので、どういうことかご存知かなと思います。
命を脅かされるような体験をしたかどうかが診断基準にありますが、
強烈に怖い思いとか嫌な思いとかした出来事があると、
それが心の中に刻まれて、
その後も長きに渡ってこころに影響を与えるのがトラウマと言われています。
大なり小なりトラウマがない人なんておそらくいないでしょう。
誰もがとても傷ついた思いをしているとは思うので、私だけって思う必要もありません。

【トラウマの影響とは】
このトラウマがどんな風にこころに影響を与えているのか、を知っておくということが大切になります。
特に子どもの頃に与えられたトラウマは、長きに渡って大人になっても、ずっとこころの地下で影響を及ぼしていきます。

「おしいれのぼうけん」という絵本をご存知ですか。
今は子どもが悪いことをしたからって、押入れに閉じ込めるというような時代ではなくなりました。
例えば、本の中では押入れの中に入れられた子どもが冒険をしていきます。
怖い思いを楽しい思い変換していくという絵本ですが、このような変換ができず、子どもの頃、押入れに閉じ込められて怖い思いをした人はいるのではないでしょうか。
閉じ込められた狭い空間、暗い空間、二度と開くことがないんじゃないかと思う恐怖。
それに絡めとられていると、大人になってからも、わかりやすく言えば、例えば閉所恐怖の人です。
エレベーターが怖いとか、電車が怖いとか、自分の力でそこの場所から出ていくことができないんじゃないかという恐怖に結びついている。
そういう症状の出方があります。

あるいは、小学校低学年だとお漏らししちゃった子。
あるいは給食で吐いてしまった子。
そういう子たちが小学校、中学校を通して、すごくそのことに影響されてしまいます。
ものすごい恐怖です。
また漏らしてしまったらどうしよう。
また吐いてしまったらどうしよう。
恥ずかしい思いが付随していますからね。
吐いちゃったとか、漏らしちゃったというのは、恥ずかしいし汚いし、みんなが自分を見たという強烈な体験になるので、大人になっても、いつでもトイレに出て行かれるドアのそばじゃないと座れない人がいます。
給食もいっぱい食べられない。
いっぱい食べると吐いてしまうのではないかという嘔吐恐怖になり、給食がうまく食べられないという子がいます。
これは親の立場にしてみればすごく悩むと思いますが、学校にはこういう子いっぱいいます。
大人になってもいると思います。
電車に乗れないとか、嘔吐恐怖は、子どもの頃、あるいはどこかの時点でその経験をしてしまったことと、その時の体験、感情が結びつきトラウマとなり今も影響を及ぼしてきます。

子ども頃の体験に何十年経っても影響されていることを恥ずかしいと思う必要はありません。
トラウマは根深いものなのです。

では、このトラウマをどうするのということについては、またお話ししてみたいと思います。

2023年09月02日

失敗できる安心な場

【安全な場での失敗について】
みなさん、こんにちは。

今日は失敗できる安全な場ということについてお話ししてみたいと思います。

間もなく迎える秋学期。
大学生たちは卒論だったり、修士論文だったりの中間発表の時期を迎えることになります。

【中間発表の緊張とドキドキ】
学生たちはまだまだ全然進んでいないとか、この程度で怒られちゃったらどうしようとか、とても緊張しながらその場に臨むことになります。
こういう場には、先生だけではなくて他の学生もいたりしていて、自分の番が回ってくるまで超ドキドキです。
前の学生が怒られているのを見たら、もうそれだけで自分も縮み上がってしまう。
逆に前の学生がすごく褒められていたら、自分はあの域に達しない、あんなに褒められてるのに、自分は全然ダメって言われちゃったらどうしよう、というふうにドキドキします。

だけれども、よく考えてみれば、いつも成功するかといったらそんなことはありません。
赤ちゃんの時だって、転んだり起きたり、転んだり起きたりを繰り返し、ちゃんと歩けるようになるまでにはそういう過程があります。
失敗をしないで成長することって人間はないんじゃないかと思います。

ここが大きな分岐点だなと思うのですが、
失敗してもそれが成長につながる場合と、失敗がトラウマになってしまうという場合があります。

往々にしてトラウマになりやすいのは、恥かいたみたいな批判だけされて、悪いところだけあげつらわれて、救いがないときです。
ディスカッションのような集団の場だと、誰かが批判的なことを言うと、みんなその意見の同乗したりしますね。

群衆心理はすごいです。

なので批判されると、批判が続いてしまい救いがなくなってしまって、失敗をしたという印象だけが残ります。
トラウマになってしまうのです。

では、トラウマにせずにどうやったら成長につながるかっていくのか。
安心安全だと思えることが大事だと思います。

決して自分を非難しているわけでもないし、批判しているわけでもない。
かと言って、全部が〇なわけでもない。

失敗することによって考えるっていう余地が生まれなければ成長できません。
自分にどんなところが足りなかったのか、自分がどうしてこうなったのか。

【失敗からの成長】
どんな思いでこういうふうにしたのに、それがうまくいかなかったのか。
ちゃんと自分で振り返られるこころのスペースを残せるかどうかが、成長につながるかどうかの分かれ道だと思います。

例えば叱る場、評価する立場のときに、どんな叱り方や助言の与え方をしていますか。

失敗してもいいと言いつつも、失敗すると怒るっていうことはよくありますよね。
けれども最後には、ちゃんとここの枠内での失敗だったら大丈夫なんだよっていうこと、
また次の機会を待っているっていうことであったり、次また見てあげるからね、だったり、何かあったらっていうのだとなかなか言えないので、次何月何日に持っておいででもいいと思います。
次の約束をしてあげる、次のフォローの機会を残してあげると、やられっぱなしにならない。
リカバリーの機会を持たせてあげる。
これも安全な場の提供っていうことになると思います。

わたしは患者さんの場合でもそうですけれども、次に会う約束を決めることをしています。
見捨てるわけではないし、これっきりなわけでもない。
気が向いたら来なさいっていうのもちょっと怖くなりできないので、必ず次に会う日を決めることをしています。

ぜひ、成長の場につながるような失敗の仕方、させ方をしてあげることをしてみるといいと思いました。

2023年09月04日

信頼と共依存の違い

【信頼と共依存の違いについて】

みなさんこんにちは。
今日は、信頼と共依存の違いということについてお話ししてみたいと思います。

「あの人の言うことだから信用しよう」
「あの人が言ったことは信頼できる」

信頼している方、自分にとってとても信用がおける方っていうのは、人生でひとりくらいいらっしゃると思います。
自分が困った時に、自分に絶対的なパワーを与えてくれる人。
ある意味、自分にすごい影響力を及ぼす人を信頼したくなるものです。

【共依存のリスク】
では、この信頼と共依存はどう違うの。
これは、気をつけておかなきゃいけないところです。

共依存はDVのカップルとか夫婦関係とかにも言われることばですけれども、共依存だって信頼関係はあります。
あるいは、あるように見えます。

「この人の言うことばだから私は信じる」

共依存の方の中にも起きていることなんです。

だから言うこと聞く。
言うことを聞いてしまいます。

これが、共依存が危ないと言われているところです。

例を挙げてみます。
何度も暴力を振る。
必ずその後に泣きながら自分のだめさを嘆き謝罪し、もう二度と暴力振るわないと言う。

あなたはどう思いますか。
共依存状態だと、そのことばを信用してしまします。
この人はそんな嘘つく人じゃない。
この人が言うことだから今度こそ信用しようとか。
この人は私がいないとダメかもしれない。
そういうことを思わされるのも共依存の特徴です。

【信頼関係の特徴】
信頼関係の場合、違いがあります。

この人の言うことは信用しよう、はあっても、
この人は私がいないとダメ、という依存はありません。
共依存になってしまうと、主体的に考えるということができなくなるのです。
なぜならこの人は私がいないといけない、と考える主体が自分ではなくて相手にして行動が決定されてしまいます。

自分で考え、自分で行動をする。
信頼している人が何か言ったとしても、それを判断できる自由が残されているのが信頼関係です。

自分が主体的に判断や行動を決定する自由度が残っているかどうか。
ここの判断ポイントは大事にした方がいいです。

今日は信頼と共依存の違いということについてお話ししました。

2023年09月04日

挨拶をしない人は非常識ですか?

みなさん、こんにちは。

今日もブログをを読んでいただきどうもありがとうございます。

さて今日は、挨拶をしない非常識な人のか?ということについてお話をしてみたいと思います。
子供の頃から挨拶は基本って言われて来ましたね。
おはようから始まり、おやすみまで。
一日の中で数えきれないくらい挨拶していると思います。
数えたら何回になるのでしょうか。


ではこの挨拶です。
あなたは相手の目を見て、さらに、にっこりも加えちゃったりする挨拶をしていますか。
なるべく目を見るようにしている。
そういう方が多いと思います。

しかし、中には目を合わせない方もいれば、挨拶をしても無視というかスルーをして挨拶をしてこない人もいらっしゃいますね。

自分がそうされた場合どう思いますか。

「なんで挨拶くらいできないのか」
朝から不愉快だな。

挨拶もできないなんて非常識だ
感じが悪い人だ

そうなんです。
挨拶はするのが当たり前。
だから挨拶をしない人は非常識って思われるんです。

その気持ちもよくわかります。

声の出し方と心の状態

ではここで、ちょっと話が逸れますが、スポーツのシーンを思い浮かべてみてください。
子どもの頃の体育の授業や部活、大会。

声を出せ!って言われませんでしたか。
ファイト!
頑張るぞ!

今年の夏の甲子園もすごかったですね。
声を出すことの効果には諸説があるのかもしれませんが、声が出せるときもあれば、出せないときもありましたね。
出すことをした方がいいと分かっていても出せないとき。
試合で負けているときや緊張が高まっているとき。
余裕がなくてアップアップで、状況にのまれちゃって頭の中はパンパン。

こころがそれどころじゃないんです。

だから声が出せるっていうのはどこか心に余裕がある。

そういうときに声が出せるんだと思います。

というふうに考えるとですね、 挨拶ができないイコール非常識なのか。
挨拶ができないイコール非常識とも言えなくなりませんか。

この人はいま、余裕がないんだな。
大丈夫かな。

相手を気に留める方向に気持ちをもっていけたら、ことばがけが変わりますね。
それによってその人が声を出せるようになったら嬉しいですね。
顔も挙げられるようになるかもしれません。

まとめ

今日は挨拶ができない人は非常識と思われがちだけど、こころに余裕がなくなると、挨拶もできなくなるということについてお話をしてみました。

最後まで読んで頂きどうもありがとうございました。
とても嬉しいです。そして感謝しています。

2023年09月17日

その目線、上から目線かも

みなさんこんにちは。

秋めいてきましたが、いかがお過ごしでしょうか。

今日は、他人への助言の仕方について考えてみようと思います。

上から目線の助言とは

「その助言、上から目線かも」と思ったことありませんか。

学校では2学期、大学では秋学期。
そして企業では下期がはじまりましたね。

新しい期がはじまるということは、その前に休みが挟まったりしています。
この場合だと夏休みだったり秋の三連休だったり。

こういう少し切れ目のある時期というか区切りがある時期に、

「そういえばさ…」
「最近思ったんだけれども…」

とか言って

「こういうことに困っているんじゃない?」
「なんかうまく行ってないんじゃない?」

みたいなことを話しかける時期でもあります。

こういう言い方は上から下へという構図で行わやすいです。。
もちろん言っている方は親切心なんです。
何かあったんじゃないかと気にしてあげている。
配慮しているという意味で、親切心なんだと思うんです。

言われた方も一生懸命

では言われた方はどうか。

子育ては、どなたであったって一生懸命です。
会社だって部下のことを考えて一生懸命育てていますね。

でも親には親の個性があるように、子どもや部下にだって個性があります。 
どこか落ち着きがない社員何かに没頭してしまう社員
ADHDやASDと診断されているお子さん
親は親なりに、うまくいかなことのある子どものことを一生懸命考えてるのです。。
怒られることも多いので、すでに人の何倍もわが子について悩んだり考えたりしているのです。

こういう人たちに、何か悩みあったら聞いてあげるよ、的な声掛け。
言われた方どう思うでしょうか。
考えすぎて頭が痛い、胸が苦しい、不安で眠れないくらい悩んでいるときに、何かあったら聞いてあげるよ、みたいに言われても、上から目線に聞こえたりしないですか。 
言っている方は配慮かもしれないです。
でも、もう十分考えているし、聞いてあげるよなんて、いかにもアドバイスしてあげるみたいな雰囲気で来られても、あなたたちに何が分かるんだろうかって思ったりしますね。

さらに、最近どう?仕事忙しいの?

暗にに子どもに関わる時間が短いよねっていうことを含んでいたり、愛情をかけていないんじゃないかとか、夫婦関係に問題があるんじゃないかとか。
思いつくままに指摘するニュアンスがあるんですよね。
これは本当に大きなお世話なんです。

なので、よかれと思って飲み会に行こうよとか、ご飯に行こうみたいに誘ってあげることはあるけれど、このことばが相手にとってどう受け取られるのかも考える必要があります。

相手のことを思って伝えているつもりでも、すでに相手は精一杯のことがあります。
そんなときの一言は、上から目線に感じられてしまします。
お互い、いろいろな状況の中、一生懸命生きている。
だから、自分のことばが相手の負担になることもあるんだということを知っていただけたら嬉しいです。 それではまた。 
最後まで読んで頂きどうもありがとうございました。

2023年10月10日