挨拶をしない人は非常識ですか?
みなさん、こんにちは。
今日もブログをを読んでいただきどうもありがとうございます。
さて今日は、挨拶をしない非常識な人のか?ということについてお話をしてみたいと思います。
子供の頃から挨拶は基本って言われて来ましたね。
おはようから始まり、おやすみまで。
一日の中で数えきれないくらい挨拶していると思います。
数えたら何回になるのでしょうか。
ではこの挨拶です。
あなたは相手の目を見て、さらに、にっこりも加えちゃったりする挨拶をしていますか。
なるべく目を見るようにしている。
そういう方が多いと思います。
しかし、中には目を合わせない方もいれば、挨拶をしても無視というかスルーをして挨拶をしてこない人もいらっしゃいますね。
自分がそうされた場合どう思いますか。
「なんで挨拶くらいできないのか」
朝から不愉快だな。
挨拶もできないなんて非常識だ
感じが悪い人だ
そうなんです。
挨拶はするのが当たり前。
だから挨拶をしない人は非常識って思われるんです。
その気持ちもよくわかります。
声の出し方と心の状態
ではここで、ちょっと話が逸れますが、スポーツのシーンを思い浮かべてみてください。
子どもの頃の体育の授業や部活、大会。
声を出せ!って言われませんでしたか。
ファイト!
頑張るぞ!
今年の夏の甲子園もすごかったですね。
声を出すことの効果には諸説があるのかもしれませんが、声が出せるときもあれば、出せないときもありましたね。
出すことをした方がいいと分かっていても出せないとき。
試合で負けているときや緊張が高まっているとき。
余裕がなくてアップアップで、状況にのまれちゃって頭の中はパンパン。
こころがそれどころじゃないんです。
だから声が出せるっていうのはどこか心に余裕がある。
そういうときに声が出せるんだと思います。
というふうに考えるとですね、 挨拶ができないイコール非常識なのか。
挨拶ができないイコール非常識とも言えなくなりませんか。
この人はいま、余裕がないんだな。
大丈夫かな。
相手を気に留める方向に気持ちをもっていけたら、ことばがけが変わりますね。
それによってその人が声を出せるようになったら嬉しいですね。
顔も挙げられるようになるかもしれません。
まとめ
今日は挨拶ができない人は非常識と思われがちだけど、こころに余裕がなくなると、挨拶もできなくなるということについてお話をしてみました。
最後まで読んで頂きどうもありがとうございました。
とても嬉しいです。そして感謝しています。