失敗できる安心な場

【安全な場での失敗について】
みなさん、こんにちは。

今日は失敗できる安全な場ということについてお話ししてみたいと思います。

間もなく迎える秋学期。
大学生たちは卒論だったり、修士論文だったりの中間発表の時期を迎えることになります。

【中間発表の緊張とドキドキ】
学生たちはまだまだ全然進んでいないとか、この程度で怒られちゃったらどうしようとか、とても緊張しながらその場に臨むことになります。
こういう場には、先生だけではなくて他の学生もいたりしていて、自分の番が回ってくるまで超ドキドキです。
前の学生が怒られているのを見たら、もうそれだけで自分も縮み上がってしまう。
逆に前の学生がすごく褒められていたら、自分はあの域に達しない、あんなに褒められてるのに、自分は全然ダメって言われちゃったらどうしよう、というふうにドキドキします。

だけれども、よく考えてみれば、いつも成功するかといったらそんなことはありません。
赤ちゃんの時だって、転んだり起きたり、転んだり起きたりを繰り返し、ちゃんと歩けるようになるまでにはそういう過程があります。
失敗をしないで成長することって人間はないんじゃないかと思います。

ここが大きな分岐点だなと思うのですが、
失敗してもそれが成長につながる場合と、失敗がトラウマになってしまうという場合があります。

往々にしてトラウマになりやすいのは、恥かいたみたいな批判だけされて、悪いところだけあげつらわれて、救いがないときです。
ディスカッションのような集団の場だと、誰かが批判的なことを言うと、みんなその意見の同乗したりしますね。

群衆心理はすごいです。

なので批判されると、批判が続いてしまい救いがなくなってしまって、失敗をしたという印象だけが残ります。
トラウマになってしまうのです。

では、トラウマにせずにどうやったら成長につながるかっていくのか。
安心安全だと思えることが大事だと思います。

決して自分を非難しているわけでもないし、批判しているわけでもない。
かと言って、全部が〇なわけでもない。

失敗することによって考えるっていう余地が生まれなければ成長できません。
自分にどんなところが足りなかったのか、自分がどうしてこうなったのか。

【失敗からの成長】
どんな思いでこういうふうにしたのに、それがうまくいかなかったのか。
ちゃんと自分で振り返られるこころのスペースを残せるかどうかが、成長につながるかどうかの分かれ道だと思います。

例えば叱る場、評価する立場のときに、どんな叱り方や助言の与え方をしていますか。

失敗してもいいと言いつつも、失敗すると怒るっていうことはよくありますよね。
けれども最後には、ちゃんとここの枠内での失敗だったら大丈夫なんだよっていうこと、
また次の機会を待っているっていうことであったり、次また見てあげるからね、だったり、何かあったらっていうのだとなかなか言えないので、次何月何日に持っておいででもいいと思います。
次の約束をしてあげる、次のフォローの機会を残してあげると、やられっぱなしにならない。
リカバリーの機会を持たせてあげる。
これも安全な場の提供っていうことになると思います。

わたしは患者さんの場合でもそうですけれども、次に会う約束を決めることをしています。
見捨てるわけではないし、これっきりなわけでもない。
気が向いたら来なさいっていうのもちょっと怖くなりできないので、必ず次に会う日を決めることをしています。

ぜひ、成長の場につながるような失敗の仕方、させ方をしてあげることをしてみるといいと思いました。

2023年09月04日